名古屋空港に着陸しようとした中華空港の旅客機が墜落して264人がなくなった事故が1994年4月26日に起こりました。
生存者は7名でした。
その中でも当時3歳だった長谷部弘義さんが仰天ニュースで当時の心境や現在の様子などを語ります。
なぜ墜落したのでしょうか?
長谷部弘義さん以外の生存者はどうしているのでしょうか?
中華航空140便はなぜ墜落したの?
中華航空140便が墜落した理由は、中華航空操縦乗員による操縦ミスとエアバス社の設計上の欠陥が複合したためでした。

出典:you tube
以下のことが起こったと言われています。(Wikipediaより)
- 副操縦士がゴー・レバーを作動させたこと
- 復航モードが解除されていない状態で自動操縦をエンゲージし進入を継続したこと
- 副操縦士が機長の指示により操縦桿を押し続けたこと
- 水平安定板と昇降舵が相反する動きをし、アウト・オブ・トリム状態になったこと
- A300にアウト・オブ・トリム状態を知らせる警報装置がなかったこと
- パイロットの、自動操縦のモード変更及びオーバーライド機能に関して理解が足りなかったこと
- 操縦の交代が遅れたこと
- アルファ・フロアがアウト・オブ・トリム状態になっているにもかかわらず、通常通り働き、急上昇したため、回復操作の時間的猶予を狭めたこと
- パイロットが回復操作に適切さを欠いたこと
- パイロット間のクルー・コーディネーションが適切でなかったこと
- 事故機に改修が行われなかったこと
- 改修を促す通告の優先度が低かったこと
その後の1994年5月3日から民用航空局は以下の様なことを実施します。
- 中華航空へエアバス社の手順に従い改修を受けるよう指示
- 中華航空のパイロット全員に訓練を受けさせて再評価をするよう命じた
名古屋空港に旅客機が墜落した生存者は何人?
当時、中華空港の旅客機には乗員乗客271人が搭乗していました。
乗員メンバーは
- 機長:42歳男性
- 副操縦士:26歳男性
- 客室乗務員:13人
- 日本人乗客:153人(幼児2名)
- 台湾人乗客:63人
日本人のほとんどはパッケージツアーの参加者でした。
搭乗者のうち、亡くなったのが264名。
助かったのが7名でした。
誰が助かったのかはすべて明らかにされていませんが、幼児2名は助かったと言われています。
長谷部弘義が助かった理由は?
当時3歳だった長谷部弘義さんは、運よく助かりました。
現在32歳になられた長谷部弘義さん。結婚されて子供さんもいます。

出典:youtube
当時は脾臓が破裂しており、骨折もされていた状態でした。
当時運ばれた小牧市民病院の担当医師が24時間付きっきりで看病した結果、食事をとるまでに回復されました。
助かった人々は、飛行機の前方に座っていたそうですよ。
なので、座っていた場所がよかったことが関係しているのではないかと思います。
長谷部弘義の現在はパパでお店の経営者
長谷部弘義さんは母親と搭乗していました。
事故後に病院のベッドの上で目を覚ました時には父親の顔があったと言います。
しばらくは母親を亡くした悲しみに心を奪われていましたが、父親が愛情を注ぎ続けた結果、悲しみも辛さも乗り越えて立派に育っておられます。
現在は結婚されて子供さんもいました。
お仕事も、お店を経営されていると紹介されています。
お店の場所や店名は非公開でした。
まとめ
名古屋空港に中華空港旅客機がなぜ墜落したのかというと、中華航空操縦乗員による操縦ミスとエアバス社の設計上の欠陥が複合したためでした。
生存者は7名おり、そのうち当時3歳だった長谷部弘義さんだけがメディア出演されています。
現在中華空港はチャイナエアラインという名前に変え、中華航空へエアバス社の手順に従って、飛行機の改修を受けて改善されています。
また、中華航空のパイロット全員に訓練を受けさせて再評価もされているので以前よりも安全に運行されているようですよ。