1992年に
神奈川県警の捜査員に向けて発砲し、
東京・町田市つくし野の民家に
立てこもる出来事がありました。
妻子持ちの渡辺忠幸さん(23歳)が
ひとりで引きおこしました。
元々指名手配犯で逃亡中であった渡辺さん。
最後は友人の一言で事件は収束しました。
本人と子供や奥さんは現在どうなったのでしょうか?
また、壮絶な生い立ちについてもまとめました。
町田市トカレフたてこもり事件アンビリバボー
1992年7月8日に起こった出来事です。
神奈川県大和市のホテルに潜伏していた
強盗容疑の男(当時23歳)を、
神奈川県警の捜査員たちが取り押さえようとしたところ、
男は拳銃を発砲して逃走した。
この際に刑事部機動捜査隊員1名が殉職し、
刑事部捜査第一課警部補1名が重傷を負った。
その後、
犯人は子供を人質に取り、
さらにトラックで逃走。
横浜市でトラックを乗り捨て(子供も解放された)、
通行人の女性に拳銃を発射して腕に怪我を負わせる。
そして、
東京都町田市つくし野の民家で、
男が家人を人質に取り、
立て籠もっていることが確認された。
犯人の知人にあたる男性が警察への協力を申し出て、
犯人を説得したところ、
犯人は逃走用の車の用意と、
知人の男性に車を運転することを要求した。
犯人と人質が逃走用の車に乗り込んだ際、
知人の男性が、
犯人の持っていた包丁を押さえつけ、
その隙に警視庁の特殊犯捜査係が犯人を制圧し逮捕した。
引用:wikiwand
渡辺氏は立てこもりの件と以前からの行動を
併せて17の罪を起こしています。
1990年:覚せい剤
1991年以降:車上荒らし、恐喝、強盗(生活費を稼ぐ)
渡辺忠幸さんの人生がおかしくなったのは
覚せい剤をはじめたことがきっかけでした。
渡辺忠幸の生い立ちが壮絶!
渡辺忠幸さんの家族は
両親と妹の4人家族です。
父親がアルコール依存症で、
母親に暴力をふるっていました。
渡辺忠幸さんが母親をかばい
殴られることもあったそうです。
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小学1年生の頃に両親が離婚をします。
しかし、父親はすぐに居場所を特定してしまいます。
仕方なく母だけが出て、姉と父親の3人で暮らします。
アルコールを飲むと暴れる父との生活を
姉と共に乗り越えました。
父は、17歳の時に病死します。
高校卒業後は建設業をまじめにこなしています。
1990年には結婚され、その年には女の子も誕生しています。
しかし、
同年には覚せい剤で逮捕されてしまいます。
そこから仕事も行かずに薬漬になってしまいました。
仕事もしていないため、
生活費と薬欲しさに車上渡しなどをはじめました。
渡辺忠幸の現在は?
1995年の最高裁で
無期懲役を言い渡されています。
どこの施設に入所されているのかは不明でした。
渡辺忠幸の子供と妻の現在は?
渡辺忠幸さんの奥さんは、
1992年の時に23歳だったので
現在は53歳になられています。
お子さんは、
1990年の8月に誕生されていたので
32歳になられました。
渡辺忠幸さんが無職になった頃から
妻の実家に帰っていたので
その後もそのまま実家で生活をされていたと思います。
子供が2歳の頃までは
渡辺忠幸さんと妻子と三人で
ホテルなどに転々として過ごしていたそうです。
子供が疲れから体調を崩してしまうことが多かったようですが、
本当は三人で暮らしていたかったんだと思います。
とても真面目で優しくて
寂しがり屋な渡辺忠幸さんを変えたのは
覚せい剤と家庭環境でした。