羽生結弦選手が誕生したのは、
阿部奈々美コーチがいたからという程
羽生結弦選手の恩師でもあるのですが
阿部奈々美コーチの夫である
吉田さんも羽生選手を支えていたのです。
スケート選手には欠かせない靴の技術者なのです!
気になるので調べてみました。
現在のブライアンオーサーコーチと
ギスランコーチについては
↓↓こちらの記事をご覧ください。↓↓
阿部奈々美コーチと羽生結弦選手の出会い
4歳の頃から、
兄弟とともにスケートを始められました。
その後、小学5年生の10歳の頃に
阿部奈々美氏をコーチに迎えたのです。
Wikipediaより
仙台のリンクが経営難で閉鎖になってしまい
練習をする為に勝山リンクに通った時にであったそうです。
アイスリンクは私の住んでいる地域でも
どんどん閉鎖されていってました。
なので、全国的にも
リンク場が減っていると思います。
練習をしたい方にとっては、
練習場所がないというのは
致命的だと思います。
環境の変化に対応するのは
家庭の事情もありますし、難しいですね。
羽生選手のお母さんは、
とても熱心だったことが伺えます。
そして、さまざまな
3回転ジャンプを習得されました。
阿部コーチがついてからは
飛躍的に成長されたのです。
こちらは、阿部コーチが振り付けされてます。
阿部コーチと羽生選手の関係は良好で、
ブライアンオーサーコーチも、その仲の良い関係から
何故自分のところに
オファーをかけたのかわからなかったくらいだったそうです。
羽生さんを支えていたのは、
阿部コーチだけではありませんでした。
阿部コーチの夫・吉田年伸さんの職人技がヤバい!
2008年仙台経済新聞情報によると
吉田さんは、元々、
電気・通信関係の会社員だったそうです。
スケートコーチをしていた妻である阿部さんを助ける為に
教え子たちの靴を研磨しようということで
2002年から
仙台にフィギュアスケート専門店「NICE」を開きました。
アイスリンク仙台に近い場所にあるそうです。
その時、羽生選手は中学生だったそうです。
吉田さんの凄い所は、
選手の癖や、要望に合わせて
エッジの外側と内側を数ミリ単位で
メンテナンスされるそうです。
このエッジのメンテナンスは、
専門家が少なく、コーチが研ぐことも多いそうです。
きっと、阿部コーチが教え子のエッジを研く様子を見て
手伝おうと思ったのかもしれませんね。
エッジは、手を切ってしまう危険もありますしね。
吉田さんは、
エッジのメンテナンスをする
数少ない専門家なのです。
吉田さんはその方法を習得するために
英文の専門書を読み、リンクの貸し靴を
隅から隅まで削らせてもらって練習したそうです。
現在は、全国から依頼が届くそうですよ!
今も羽生選手のエッジを研いでおられるそうです。
「カナダの職人にやってもらったら全く跳べなくなった。
いかに思い通りにしてもらっていたかを痛感した」
と語られたそうです。
羽生選手の要望に細かな所まで答え、対応できるのは
吉田さんだけかも知れないですね!
まとめ
羽生結弦選手が急成長されたのが
阿部コーチとの出会いがあったからでした。
それから、三回転ジャンプを習得され
華麗なる踊りで受賞されてきました。
ここまで活躍できたのは
コーチだけでなく
フィギュアスケート選手にはかかせない
靴のエッジのメンテナンスが
行き届いていたからなのです。
今でも、阿部コーチと吉田さんは、陰ながら
羽生結弦選手を支え続けてます。
こんごの活躍が楽しみですね!