ニトリのクーデター黒歴史!似鳥会長の履歴書も負けてない

プロフェッショナル(政治家・社長など)
スポンサーリンク

現在一人勝ちしている【ニトリ】の黒歴史がヤバいそうですね。

私の履歴書という記事も話題になりました。

社内犯罪や

部下による超悪質クーデターがあったそうで

似鳥会長は自殺をも考えた位だったようです。

 

そのクーデターの内容や私の履歴書の衝撃内容等

会長の私生活も合わせて調べてみました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ニトリ似鳥会長の自宅は札幌で在日だった?大学はどこ?

名前:似鳥 昭雄(にとり あきお)

生年月日:1944年3月5日

年齢:74歳

出身地:樺太(ロシア連邦サハリン州の島)

戦後:札幌市

最終学歴:北海学園大学経済学部

ニトリ会長である

似鳥昭雄氏は

樺太に生まれました。

 

父親は岩手出身の方で

母親は親族が北海道にいる為

北海道出身のようです。

 

 

似鳥氏は

札幌市で育ち

北海道工業高等学校卒業し

札幌短期大学に進学されます。

 

卒業後は北海学園大学の編入され

北海学園大学経済学部を卒業されてます。

 

 

始めは、広告会社に勤められるも

仕事が取れず半年で解雇され

 

のちにニトリになる

似鳥家具店

23歳の時札幌で創業されます。

 

当時、会長は父親が勤めて

おられます。

 

経営コンサルタントの

渥美俊一氏を師とし

家具業界向けの

アメリカ・ロサンゼルスへの

研修セミナーに参加する等し

 

世界5万店舗を目標にして

現在のニトリを作り上げていました。

 

 

現在は、

一人勝ち

ともいわれているほど

この不景気なか

売り上げが右肩上がりなのです。

 

 

そんな会長のことが

ヤバいと話題になったのは

 

日本経済新聞朝刊最終面に

掲載されている連載読み物

私の履歴書に

取り上げられたことでした。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ニトリ社長の私の履歴書の内容がヤバい!本は?

2015年76回シリーズに

全3回にかけて連載されたその内容は

驚くものでした。

 

「登校時は学校へ着くまで

長い竹ざおでつつかれまくる。

いじめられてもいつもニタニタしているので

「ニタリくん」と呼ばれていた。」

 

「通信簿も5段階の1か2ばかり。

母には「1が1番良くて、5が最低」とウソをついていた。

それがなぜか長い間ばれなかった。

 

「試験科目は英語と経済学。そこでカンニングを思いついた。」

「契約も取れないまま。ノルマが達成できない

他の新入社員は相次ぎ辞めさせられた。

私も解雇の対象だが、

一つだけ生き残る道を見いだした。花札だ。」

(参考:私の履歴書より)

 

社長は高学歴で、優秀な経歴

 

というのがお決まりパターンですが

それを覆す事実に好感を抱いた方も大勢います。

書籍も多数出版され

2011年【不況をチャンスに変える】

2015年【運は創るもの】

2016年【ニトリ成功の5原則】

等があります。

そして2018年

日経平均の為替株価予想もされているのです。

サイバー大学の

客員教授(流通経営論)も

務められてます。

しかし、苦労はこれだけではありません。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ニトリの社長椅子が快適!クーデターの概要は?

ニトリの社長椅子が

快適すぎると評判で

売り上げもうなぎ上りである会社を作った似鳥氏は

トリが3店舗目を出店し、これからというとき、

 

とある社員が起こしたクーデターにより、

社内が敵だらけになったそうです。

さらにその社員が家まで押しかけ、

似鳥氏とその妻に

理不尽な土下座を要求したそうです。

 そんな過酷な日々を乗り越え

ここまで大きくし

現在は辞任され

会長として活動されているのです。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ニトリ社長辞任し新社長は白井氏に交代の理由は?

似鳥氏は

70歳になるころに

会長に就任されてます。

 

後任は

白井俊之氏です。

 

彼は、商品担当職員でした。

急激に進行した

円安っを味方につけ

いち早く対策をとり

その結果

 

会社の利益に貢献されたのです。

 

 

似鳥氏といえば

母校の北海学園大学に寄付講座を開講や

私財を投じて

留学生のための奨学基金を設けるなど

 

社会貢献活動も行っていることも

話題ですが

 

栗城登山家も

支援されていました。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ニトリ社長は栗城登山家を支援していた

似鳥氏は

登山家栗城氏の

長期にわたるスポンサーでした。

似鳥氏は

「日本に帰ってきすぎ」

「向こうへ住んでしばらく帰ってくるな」

「出発が遅い」

などTV番組内で発言されていたようです。

 

そして、栗城氏が死亡した

2012年エベレスト登山への挑戦の時

 

エベレスト遠征中の

サイトリニューアル時に

スポンサー一覧から消滅されてます。

 

これには、栗城氏が登山家として詐欺的だとみて

スポンサーから降りたということでした。

かなりの金額を当てていたようです。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

まとめ

お値段以上ニトリ

 

というフレーズでおなじみの

ニトリを創設された

 

似鳥昭雄氏は

過酷な幼少期を過ごされてます。

それだけには終わらず

ニトリを創設し、これからというときに

内部のクーデターにより

理不尽な対応を求められ

社内がすべて敵に

なってしまいました。

 

そこから

似鳥氏の凄いところは

優良企業にまで

育て上げたところです。

 

現在は、会長というポジションで

活躍されてます。

実の母親と2016年から

もめているようですが

最後まで苦労が絶えない

似鳥氏でした。

タイトルとURLをコピーしました