藤田信雄海軍中尉アメリカ本土襲撃した唯一のパイロットが現地で英雄に?ルックアウト空襲

話題
出展:Wikipedia

藤田信雄飛曹長の海外の反応は?

海外の反応は、

 

 【アメリカ】WOW じゃあもう爆撃のことは忘れる。

【ハンガリー】日本人パイロットに心からの敬意を表します。

【フィリピン】アメリカ本土空襲ってマジで? 初めて知ったんだが。

【フィリピン】間違っていたと思ったらそれを潔く認められるんだよ。 

【オーストラリア】何て偉大な男なんだ。空襲は命令だったんだから仕方なかったわけだろ? 

(参考:http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/)

というような意見が多数ありました。

 

日本人がアメリカを空爆したことを驚く意見と

謝罪したことを称賛する意見が多かったです。

 

 

藤田信雄海軍中尉の戦後の生活は土浦でなにしてた?

藤田信雄さんは終戦後、

地元である茨城県土浦市に戻ります。

 

そこでは、工場勤めをして生活をされました。

藤田さんは家族と共に

土浦で生活されていたようで

 

娘の浅倉順子さんと

息子の藤田文浩さんがいます。

 

 

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平和に暮らしていたことと

思います。

 

軍のメンバーとして

活動していたので

 

さぞかし報酬をもらった

優雅な生活をされていたのかと

想像しますが

 

実際は、

衣類は勤務先の作業服のみで

娯楽は毎月2〜3冊の書籍のみ

だったようです。

 

 

そんな生活をされていたある時

 

襲撃したアメリカの政府が

藤田さんを探していました。

 

そして、

池田勇人首相と

大平正芳内閣官房長官に

面会し、アメリカ行きを命じられるのでした。

 

 

藤田信雄が日本刀を現地に送ったわけ

藤田信雄さんは、

日本刀をブルッキングズ市に

送ったと話題にもなってます。

 

その日本刀は、ただの日本刀ではなく

400年間自宅に代々伝わるものでした。

 

出展
:all-nationz.com

 

送った経緯ですが、

 

アメリカ行きを命じられた時、

 

藤田さんは、

生きて帰れない覚悟を決め

自決用に持参したのです。

 

 

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しかし、藤田さんが襲撃した

ブルッキングズ市は

 

藤田さんをフェスティバルの主賓として

招待したのでした。

 

大歓迎を受けた藤田さんは

持っていた刀を友情の印として

ブルッキングズ市に贈ったのです。

 

当時、藤田さんは

死を覚悟していただけあって

自身がとても恥ずかしかったし

感銘も受けられます。

 

 

生活がそれほど裕福でないにも

関わらず、資金を集め

ブルックリン市の生徒を3人

日本に招待してます。

 

ロナルド・レーガン大統領の補佐官からは

「貴公の親切と寛大さの賛美を」

と献辞を受け取りました。

 

他にも、

空爆した場所に植木を植えたり

84歳の頃には市長と友人3人を乗せて

セスナ機を操縦し、当時の空路を飛んだそうです。

 

亡くなる数日前には

ブルッキングズ市の名誉市民になってます。

 

藤田信雄のモニュメントや本や映画がある?

 

空爆した現地には

 

藤田信雄さんの位牌の一部が

埋められている場所や

 

藤田信雄さんの書籍コーナーがあります。

 

 

現在は、藤田信雄さんの

娘さんや息子さんが

現地に行って交流をされてます。

 

映画は、現在ないようです。

今後制作されるかもしれませんね。

 

 

まとめ

日本軍のパイロットとして

活躍された

藤田信雄さんは、

 

世界で唯一アメリカ本土を

襲撃した人です。

 

 

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その攻撃は

小さい山火事で終えます。

 

戦後は地元の茨城県土浦市で

家族と共に過ごされてました。

 

仕事は工場勤務でした。

 

後に、攻撃した現地に

招待され歓迎されてます。

 

ブルッキングズ市の

非公式大使に任命されて

いるのです。

 

今も、息子さんと娘さんが

交流を続けています。

 

 

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